最終更新日2012年9月20日
 
   ●9月16日井土での支援活
   の支援活動の写真と報
   をUPしました(9/18) 
 
    ●「被災地関連報道」のブロ
       グを更新しました(9/20)
 
  
 
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↑ 支援物資送り先 カンパ振込み
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    ↑  支援活動を取り組んでいる宮城         県亘理町など被災地の画像、動
  画などをUPしています
  
 
 
   
↑ 被災地の状況は刻々と変わって
    います(11月30日現在) 
     
  
↑ 亘理町から被災地支援活動・
  炊き出しへのお礼状が宮地連
  に届きました
 
  
 
    
  八月に被災者支援に来てくれた     労 働者がその時の様子を詩に してくれました。 「一五〇日目のホットケーキ」という詩です。
 
 
津波で被災した仙台市沿岸部の「復興」をめぐった動きです
 
■ リンク
 
 
↑ 被災地の避難所、仮設住宅など
   の情報が集約されています
  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 被災地の労働組合                                   
 
 宮城県地域連合労働組合(宮地連)は東北・関東大震災の被災者支援活動を継続しています。
    全国の働くなかまたち! 労働運動の真価を賭けて被災者支援運動にたちあがろう!
 
    
     
   記事は「宮地連ブログ」で読めます  仮設住宅に住む被災者の生活を伝   宮地連で炊き出し支援に行っていた
                           える河北新報の特集記事です     亘理町の被災後半年の記録写真
 
 原発作業員から違法天引き 健診費、厚労省が実態調査へ (朝日新聞2012年9月20日)new!
 再処理工場来年10月完工 1年延期正式発表 原燃 (河北新報2012年9月20日)new!
  仙台市民の景況感、震災直後以来の悪化 4〜6月期 (河北新報2012年9月20日)new!
 東北電とユアテック 太陽光発電事業スタート 被災沿岸中心 (河北新報2012年9月20日)new!
 東北、時給800円遠く 岩手・宮城、復興優先が背景 (河北新報2012年9月18日) 
 原発作業員の健康支援に“格差” (NHKweb2012年9月12日)
 東日本大震災から1年半 34万人、なお避難生活 (河北新報2012年9月11日)
   

   炎天下で支援活動をつづけています

 9月16日、若林区井土で畑のガレキ取り出し作業

   
  仙台は30度を超す日が続いています。この暑さのなかでも全国から支援の人達が来ています。
この日は井土地区の津波に襲われた畑の掘り起こしとガレキの取り出し作業でした。

  9月5日、若林区二木の畑でガレキの取り出し作業 

 
   
 この日の現場は二木(ふたき)。この畑にはビニールハウスが建っていたようで、出てくるガレキ
 の量は多くはありませんでしたが、右の写真の「?」マークの形をしたハウスを固定する鉄製の
 アンカーが何本も出てきました。このアンカー、まっすぐなものかと思ったら、ワインのコルク栓
 抜きのようならせん形のものでした。この農家の方から話を聞くことができましたが、今は7人
 家族が仮設住宅で暮らし、津波に襲われた家屋は修理して住むとのことですが、地元の大工
 さんが忙しく、修理に入るのは一年後になるとのこと。農業機械もすべて流されたので田畑は
 他の農家に耕作してもらうしかないと考えているそうです。行政による公的支援の必要を感じま
 した。

 8月25日、29日 若林区三本塚の畑でガレキの取り出し作業 

  
 8月29日 同じく三本塚の畑のガレキ取り出し作業。スコップの刃1枚分の深さの土を掘り起こし、
 起こした土をスコップの刃で砕き、隠れているガレキを見つけ、取り除きます。この日の農家には
 30メートル掘った井戸があり、冷たくおいしい水を飲んで休憩できました。畑の隅からはミミズが
 現れ、農業の再開にむけた小さな変化も見えました。
 
  
 8月25日 三本塚の畑。この畑は震災後しばらく「ガレキ置き場」になっていた所で、そのガレキを
 搬出するためにブルドーザーやユンボが何度も行き来して踏み固めたために、なかなかスコップ
 が刺さらない固さでした。写真のように、ツルハシで砕いて、その後をスコップで掘り返す作業に
 なりました。とても農家一軒でやれるような作業ではありませんが、行政の支援はありません。
 このような作業ができなければ農業の再開もできず、「離農」という選択を強いられる現実を見すえ
 ながら支援活動を継続する必要があります。隣の畑では掘り起こし作業の前段の作業として表面の
 草取り、石拾いをお母さんと来た小学生も頑張っていました。
 

 8月9−10日、若林区種次で畑の草取り作業

 
  
 名取川のすぐ脇に畑の草取り作業。草の背が1メートル以上にも伸びていて、スコップで根を掘り
 返して草を抜く作業でした。草の陰からは写真のようなガレキが出てきました。ガレキが農業の
 再開をジャマしています。となりの田んぼではユンボが表土をすきとり、塩抜きの前準備をしてい
 ました。宮城野区に比べ、若林区の田んぼの塩抜きは遅れているそうです。
 

 8月5日、若林区神屋敷で畑のガレキの取り出しとネギ畑の草取り作業

 
  
 民家が近くにあった畑からは大型で大量のガレキが出てきます。建物の基礎部分と思われる
 1メートル以上の長さのコンクリートの塊りも出てきました。ガレキ取り出しの後はネギ畑のうね
 の間に入って草取り作業。仙台では「曲がりネギ」ができます。まっすぐ伸びたネギを一度抜いて、
 寝かして植えなおして、わざと曲がったネギにします。

  8月1日、若林区二木でひまわり畑の草取り作業

 
  
  
 本日の作業現場は仙台市沿岸部を南北に走る「県道塩釜亘理線」沿いの二木(ふたき)のひま
 わり畑。海が近いので潮の香りと海風が心地よかったです。しかし、作業はひまわりの間にしゃ
 がみ込んでの草取りで、砂と塩分で硬くなった地面から草を抜き取るのは大変でした。
 昼休みの休憩場所を提供してくれた農家の方が「キューりの漬物」とゆでた「インゲン」を差し入れ
 てくださいました。お聞きしたら、「じいちゃん、ばあちゃんは仮設住宅、自分たち夫婦はアパート
 暮らしでやっている。朝、夜が明けたら涼しいうちに畑仕事を始めている」ということで、サニーレ
 タスの収穫と出荷準備をされていました。  

 7月29日、若林区三本塚で畑のガレキ取り出しの支援作業

 
  
 前日に続いて三本塚の畑のガレキ取り出し作業に取り組みました。前日の写真と比較すると作業
 の進み具合がわかるかと思います。残りの部分の作業が済んだら白菜を植えるそうです。まだ、
 畑の塩分が抜けていないようで、ジャガイモなどの土物野菜の栽培はうまくいかないそうです。
 今日は三重県、神奈川県の先生、教職員組合の団体が参加されていて、お互いの職場の様子を
 話しあっていました。「仕事が多すぎて、トイレの便座で座ったまま15分だけ寝てから次の授業に
 行っている」「教育委員会が強権を振るう東京都では自殺したり、病気になる教師が増えている。
 東京で教師になることを自分は勧められない」と話しておられたのが印象的でした。

 7月28日、若林区三本塚で畑のガレキ取り出しの支援作業

 
  
 仙台市も梅雨明け宣言とともに連日30度を超える真夏日が続いています。それでも名古屋、
 横浜、埼玉、東京からと、多くの人達が支援に駈けつけています。昼休みでのみんなの感想は
 「日陰や風がこんなにありがたいと思ったことはない」というものでした。農業がなかなか再開
 できていない状況を見て「農業では利益が出ないからとほったらかししているようだ」という感想を
 言う人もいました。農業ばかりでなく、宮城県の村井知事が打ち上げた「漁業特区」の申請は
 まだ一件もないそうです。民間資本は「東北の漁業に投資しても利益が出ない」と判断している
 ようです。民間資本をあてにして、漁港などへの公的な支援がされないなかで、漁民も農民と同じ
 ように、生活再建がいつまでもできない状況を強いられています。
 
   
 午後3時には作業終了。土嚢袋には畑から取り出した石などのガレキが一杯です。スコップを立て
 た右側が作業終了エリア。利益優先の資本や公的義務を放棄する行政に任せていては被災者の
 生活再建が進まないことがますますハッキリしてきています。働く者同士の支援と連帯の活動こそ
 が真の解決の道です。    

 7月23日、若林区荒浜で畑のガレキ取り出しの支援作業

 
  
 昨日までの「寒さ」も終わり、今日は暑い日差しのなかでの作業でしたが、海からの風に助けられ、
 スコップでの掘り起こし―ガレキ取り出しは順調に進みました。
 今日の作業には、九州の福岡県大牟田市から高速バスを乗り継いで(走行時間だけで20時間近く)
 きた20歳の青年もいました。二年間オーストラリアでアルバイトしながら生活し、1ヵ月前に日本に
 帰ってきたそうです。「オーストラリアの『マック』では時給がどんなに安くても1200円は出ていたのに、
 日本の時給は安すぎる」「日曜出勤なら時給が二倍、祝日出勤なら時給が三倍だった」「日本に帰って
 きて、最初に乗った東京の電車の中が(乗客同士がまったく会話をせず)暗い雰囲気だったのでびっ
 くりした。オーストラリアでは初対面でも乗客同士が自然に会話をしていたのに・・・」と話していたのが  印象的でした。また、「向うのテレビでは日本のことはほとんど報道されないが、福島第一原発事故の
 ことは報道していた」と言っていました。
 

7月15日、若林区種次、荒浜で畑のガレキ取り出しの支援作業

 
  
 若林区の一番南に位置し、名取川が近くに流れる種次でガレキの取り出し作業を行いました。
 雨が降ったり止んだりの天候のなか、カッパを着ての作業はサウナ状態でした。現場は民家が
 あった場所で、出てくるガレキも大量。スコップを差し込むたびに「ガツッ」と「当たり」の連続でした。
 
  
 午後から移動した荒浜の現場はガレキの集積場や焼却プラントの近くでした。沿岸部に立つと、
 目立つのは大手ゼネコンが請け負った「ガレキ処理」作業だけで、すぐ隣の水田は排水もできない
 ままに放置されている状況です。
 

 6月16日、荒浜小学校近くの畑でガレキ取り出しの支援活動

   
 今回の作業現場も荒浜小学校の近くでした。左上の写真のバックに荒浜小学校が写っています。
 右上のガソリンスタンドも仙台市沿岸部に来た人には印象に残っていると思います。
 
   
 この畑の海側に住宅地があったためか、なかにはこのように5人がかりで掘り出さないといけない
 大きさの石もありました。出てきたガレキも右上の写真のように様々でした。
 
   

 6月10日、荒浜小学校の清掃、農地のガレキ取り出しの支援活動

  
 多くの犠牲者が出た若林区の荒浜地区にある荒浜小学校。津波は3階の高さまで襲ったそうです。
 校舎の3階のベランダ(海側)のコンクリート製の腰壁が津波の力で折れていました。PTAの人たち
 の呼びかけで校舎内の物品の整理や床掃除を行いました。3階の廊下にはガレキ混じりの砂の山
 が積み上がっていました。
 
  
 作業終了後、全員で屋上に上がりました。すぐ先には海岸線があり、打ち寄せる波しぶきが見えま
 した。屋上に避難した子どもたちは怖かったと思います。小学校の作業終了後はすぐ近くの畑のガ
 レキ取り出し作業を夕方まで行いました。この畑を耕作されていた方の家は新築して3ヵ月でコンク
 リートの基礎だけ残して建物部分はすべて津波で流されたということでした。

 5月12-13日、若林区三本塚での農地再生作業の支援に行きました

 
  
 写真左の水面は海や川、池ではありません。連休中の大雨で水没した水田です。地震による地盤
 沈下や排水ポンプの停止などで一度雨が降るとこういう状態になり、なかなか水が引きません。
 大阪、石川から来た労働者、東北大学の新入生たちと畑に埋もれている石や瓦礫の除去作業を
 やりました。およそ10アールの畑は2日間の作業で作付け可能な状態になりました。
 

 4月29‐30日、若林区荒浜での農地再生作業の支援に行きました

 
   
 荒浜の沿岸部はまだ上のような荒涼たる風景が続いています。アスファルトがめくれ、下に敷いて
 いたジャリが農地に流され、農業の再開を阻んでいます。
 
  
 大型バスで来た秋田大学の学生、お母さんと一緒に来た小学生、公務員の仕事を辞め、「ゴールデン
 ウィークじゃなく、ゴールデンイヤーの一年です」と被災地をめぐる労働者とともにスコップ、フルイを
 使ってジャリやガレキの除去作業をやりました。「復興計画」とか「復興事業」といった言葉が氾濫して
 いますが、仙台の津波被害を受けた沿岸部に立つと、「取り残されている」という感想を持ちます。
  

 4月8日、若林区日辺の畑(仮設住宅の方が共同で耕作)の草取り作業

  
 宮地連で炊き出しに行っていた日辺グラウンド仮設住宅から程近い名取川の河川敷にある畑の
 草取りを行いました。仮設住宅に引っ込みがちな方々が慣れ親しんだ畑仕事をきっかけにして
 外に出て動くようにしていこうという目的で、共同耕作地になる畑だそうです。
 仙台市の農家の二割は自力での営農再開、六割が集団化、二割が離農を考えておられるそうです。

 3月27日、若林区荒浜の農地で石の除去作業の支援活動

 

 防風林と県道塩釜亘理線にはさまれた農地で津波が運んだ砂利の取り出し、ガレキの取り出しの
 作業を行いました。写真の手前は砂利の取り出し作業、奥はスコップを使ったガレキの取り出し作業。
 
   
 上の写真にも見えますが、農地の表面には無数の砂利があり、これをスコップですくって「ふるい」
 にかけ、左の写真のように砂利だけを取り出す作業を繰り返しました。一輪車はすぐに一杯になり
 ました。これらの作業が終わったら、ジャガイモを作付けするということでした。

 3月16日、仙台市若林区の沿岸部で畑の再生―ガレキ取り出しの支援活動

  

 被災地・仙台には今も全国から支援の人たちが来ています。左の写真は、朝のミーティング風景。
 右は作業現場。背景でダンプが走る道は県道塩釜ー亘理線。この県道を通行中の車が津波に
 襲われ、多くの人がなくなりました。
 
  
 反対側には津波でまばらになった松の木の防風林が見えます。右、畑にはこのようなガレキが
 隠れていて、農業の再開を遅らせています。
 

 3月10日、山元町は雪でした

 大震災から一年が経とうとしています。3月10日、山元町には雪にもかかわらず大型バスで支援の
 人たちが。私たちもイチゴ農家のハウスの再建にむけた片付け作業を行いました。
   

 3月8日、仙台市沿岸部でビニールハウスの解体、畑のガレキ除去の支援を行いました

 
  
 
 仙台市若林区の津波被災地。東部道路の内側でも1・2メーターの高さまで津波がきたそうです。
 この日はビニールハウスの解体作業。写真は解体し終えたところです。奥のハウスではヘドロの
 除去を行いました。
 津波は田畑に被害をもたらしただけでなく、大半の農業機械も流し、破壊しました。今日の現場に
 は応援の農家の方もみえていて、震災後に新たに購入したトラクターで作業に参加されていました。
 このトラクター、420万円もしたそうです。被災地で新たに農業をやるには、こんなに多額の負担が
 のしかかってくることを実際にトラクターを見て実感しました。

 3月4日、山元町沿岸部の津波被災地での支援活動に行きました

 
 
 2月18日に行った山下駅近くの津波被災家屋の庭や隣接する畑で津波が運んだヘドロの除去
 作業を行いました。3月2日(土曜日)に降った雪が庭や畑を覆っていましたが、雪かきをして、
 ヘドロを土嚢袋に詰めて積み上げました。
 家屋の方には内装の大工さんが入っていて、「四月には住めるようになる」とのことでした。
 休憩中の話では、常磐線の線路がどこに移動するのか二転三転しているとのことでした。
 駅前で暮らしていた方は「そのまま駅を再開して欲しい」という意向の方も居られるそうですが、
 なかなか難しいようです。

 2月22日、仙台市沿岸部の畑での支援活動をおこないました

  
 
 仙台市が被災した沿岸部の農業地帯を対象にした「特区」を申請したことは被災された農家のあいだ
 でも「話題」になっています。しかし、「大規模化」や「六次産業化」を受け入れなければ農業を続けられ
 ない仕組みにしてしまうのは、「利益」「収益」を優先した考えであり、「非正規雇用」や「リストラ」も同じ
 論理で襲い掛かる事実をいつも見ている労働組合としては首を縦に振ることはできません。
 大震災に便乗して労働者・農民を追い出す動きは許せません。
 そんなことを考えながら、固く凍った農地の表面の石を拾い、太陽の熱で柔らかくなった畑にスコップ、
 ツルハシを打ち込み、土中に隠れたガレキを取り除く作業をやりました。農地のとなりには津波に耐え
 た神社があり、「文政」の文字が石碑に刻んでありました。

 2月18日、山元町での支援活動に行きました

  
 
 先週、山元町でおこなった被災されたお宅の支援活動の継続作業を行いました。この数日、朝の
 最低気温がマイナス6度という冷え込みが続いたり、積雪が7センチ近くあり、被災家屋に隣接する
 畑は固く凍結して、なかなかスコップが入らない状態でした。津波と海水の塩分で枯れた庭木の片付け
 にはチェーンソーも出動しました。

 2月10日若林区―2月12日山元町での支援作業に行きました

  

 若林区沿岸部での「畑の再生」のためのガレキの掘り出し作業。畑の海側にあった家が津波で全壊
 し、そのガレキが地中に隠れています。失業して雇用保険を受給中の仙台の人、北海道から来た人、
 関西から来た大学同期の社会人の青年二人連れ、定年後に支援活動を始めた人、と多彩な顔ぶれ
 で作業をしました。
 
  
 
 こちらは山元町。JR山下駅の近くの津波で被災した民家の床下や壁の清掃作業と、隣接した畑の
 草刈りとヘドロのすきとり作業。すきとったヘドロを入れた土嚢袋が山のように積み上げられました。
 11ヶ月も経過したのに、辛うじて津波に耐えた家があってもまだ住めない、被災者だけでは解決でき
 ないことが膨大に残ったままです。「国家財政や自治体の財政には限度がある」という「言い訳」に、
 簡単に納得してはいけないと思います。また、働く者の連帯をもっと発揮しなくてはいけないと思います。
 

 年明け第2弾の支援活動(1月29日)

 仙台市若林区沿岸部での「畑の再生」―ガレキの取り出し作業に行きました

  
 
 沿岸部から西を見れば、中心部のビル街が見えます。近いです。沿岸部の畑は行政によって大型
 のガレキは撤去され、津波が運んだヘドロや砂もすきとられていますが、右上の写真のように、まだ
 耕作はほとんど始まっていません。地中に隠れたガレキがあることと、耕すためのトラクターが流失
 してしまったことが大きな理由のようです。行政がやるのは表面の「すきとり」までで、後は農家が自力
 でやるしかないそうです。仙台市の復興計画は「農地の大規模化」を打ち出していますが、「耕作でき
 るようにできないなら、農地は手放しなさい」という誘導の姿勢というふうにも見えます。
 
  
 
 農家が自力・手作業で耕作できるようにするには無理があります。ということで、当日の最低気温
 マイナス7度、最高気温0度の悪条件をものともせず、雪が残る畑でスコップでの掘り起こしとガレキ
 の取り出し作業をやりました。被災者があきらめないで済むようにすることも支援の一つだと思います。

  年明け第一弾の支援活動(1月14日)

 仙台市若林区の沿岸部で「畑の再生」―ガレキ取り出し作業に行きました

  
 今週、仙台は何回も雪が降りました。14日の予報は最低気温マイナス4度、最高気温2度。
 海側を見れば雪が残った畑が広がり、畑は固く、ツルハシを振るうほどでした。
 
  
 大型のガレキは無くなっても、ガレキ撤去で重機が走って踏み固め、マイナス4度で凍った土を
 ツルハシやスコップで掘り起こすと、上の写真のようなコンクリートの塊りや木の根が埋まっていて
 トラクターを入れても直ぐに壊れてしまいます。10人以上が午前中に掘り起こしたのがこれだけです。
 「仙台市沿岸部では二割の農家が農業を辞める意向」と報道されています。
 全国の働くなかまが力を出せば、被災者が「あきらめ」ないで済むことはまだたくさんあります。 
 

 12月21日、仙台市若林区三本塚の畑の再生―ガレキ取り出し作業に行きました

      
 仙台市内では雪が降り始めています。この日(12月21日)も朝は3度くらいしか気温が上がりませ
んでした。作業の現場は、写真で分かるように、津波が押し寄せた海岸線の松林が見える位置に
ある「三本塚」の畑でした。九月からの作業で草や大型のガレキは取り除かれていますが、スコッ
プや熊手で掘り起こすとまだガラスや小石、木の枝が出てきます。畑の再生にむけた作業が続け
られています。
 

 宮地連は被災現場での作業を継続しています

 12月18日、山元町での支援活動―津波被害家屋の泥出し作業などを取り組みました

  
 被災家屋に道具を持って集合・打ち合わせ    家屋の横の畑で津波が運んだガレキの掘り出し
 
  
 寒風のなか、津波で汚れた食器洗いも      床板を剥いで床下のヘドロ、ガレキの撤去作業
 
 年が明けても作業が必要な被災家屋はたくさんあります。参加希望の方はご連絡ください。
現場までの移動手段も宮地連で用意できます。
  

 11月20日、再び山元町の被災現場の作業にいきました。

  「3・11」を受けた被災者の「これから」を労働組合として一緒に

   作っていく決意です。ひきつづき応援をお願いします。

 
 
 朝の山元町ボランティアセンター。昨日(19日)は300人が各地から来たそうです。
 
 
 
 作業現場は常磐線「山下駅」のすぐ近く。草に覆われた線路がすぐ横にあるところです。(写真は道路
 を挟んだ向かいの家での作業風景です) 作業終了後、炊き出しの温かい「おろしかき揚げソバ」をい
 ただきました。
  

    10月16日、第18回支援活動は日辺仮設住宅(仙台市若林区)

     でコーヒーとお菓子の喫茶コーナーを開設しました 

 

 
 仙台市の復興計画が具体化しだしてきており、仮設住宅入居者にも「集団移転」の問題、補償額の
 問題など「生活再建」にむけた現実が「押し寄せて」きています。震災前までは一つの地区(集落)と
 して発想していたことが行政による「線引き」によって分断されていくという問題もあります。
 
 
 
 仮設住宅には高齢者が多く入居されています。若年層には「生活再建」にむけた変化に対応できて
 も高齢になるとそれは大変なことです。経済的な観点を優先した「復興」によって犠牲を強いられる
 人が出ると、その犠牲がさらに拡大していくことは現在の「非正規雇用」の問題でも明らかです。野田
 政権の「被災地を復興特区にする」という構想は「公的な責任」を放棄した発想であり、犠牲になる人
 を生み出すものだということを労働組合は声を大にして言わなければならないと思います。
 宮地連は労働組合の視点から引き続き被災者に密着した活動を行っていきます。
  (仮設では各戸の玄関前の「ひさし」の工事、各戸への石油ストーブの配布が行われていました。)
 

  10月9日、東京から来た労働者とともに

       山元町の被災現場での作業に行ってきました

  
  
 宮城県山元町。JR常磐線から海側の地区では津波に襲われた家屋の泥出し、壁落としの作業が
 九月以降に始まり、まだ多くの家屋が「手付かず」の状態になっています。
  宮地連は東京から来た労働者とともに山下駅近くの家屋の壁落とし、泥出し作業に行きました。
 左は津波に直撃された山下駅。作業現場の近くにはレールがない元「線路」に取り残された電気機
 関車が見えていました。  

 9月25日、第17回めの支援活動は

 仙台市若林区日辺仮設住宅で「喫茶コーナー」を開設しました

   
 
 当日は午後3時から仮設住宅自治会主催の「さんま祭り」が計画されており、宮地連はそれまでの
 時間にクラブハウスでようかんやゼリーなどの甘味を用意して「喫茶コーナー」を開きました。
 
 
 
 喫茶コーナーは日曜の朝の語らいの場、「さんま祭り」の準備で大根おろしなどの作業されている
 方たちの休憩の場として利用されました。たくさんのお菓子を提供して下さった方々に感謝。
 

 失業手当、給付日数再延長へ 被災地の一部さらに90日」

 被災地の失業状態は改善されていません。政府は沿岸部に限定して雇用保険の給付日数を増やす
 対策を打ち出していますが、対象地域から外れる失業労働者、自営業の人たちの問題は残ります。
 
 

  9月11日、大震災から半年の日、仙台市若林区の日辺仮設住 宅で第16回めの支援活動―炊き出しを行いました

 
 
 メニューは「みやちれん」の定番となった「ちらし寿司」。準備が遅れ、配食時間に間に合わなくなりま
 したが、入居者の方が待っている間にうちわで扇いでくれたりして手伝ってくれました。「こんなふうに
 自分たちで作ればいいね」という声も出ていました。
 
 
 
 多くの方を待たせてしまいました。「7人分」「5人分」と大皿やタッパーで受け取っていかれる方も多く
 まだまだ「食の支援」が必要です。また掲示板には健康問題の取り組みポスターも多く、長期の仮設
 生活を支えるための課題がたくさんあることを物語っています。
 

 震災から半年、被災者の生活再建のメドは立っていません!

 
      河北新報のアンケート結果            石巻市内の避難所、市内では50ヵ所・1500人が避難所
                                    生活を続けている。(河北新報より)
 

 被災地の求職者、就職2割 10月から失業手当切れ急増」

 被災地の失業問題が深刻化しています。 (上の朝日・毎日新聞9月6日の記事を読む)

 「みやちれん」ではひきつづき震災にともなう労働相談を受けつけています。

  街頭ビラまきと会場での受け付けだけでなく、電話・メールでもどうぞ!

 
 広瀬通り・ぶらんどーむ一番街で労働相談のビラまき。お気軽に声をかけてください。

 被災現場の作業をがんばる全国のなかまたち

 現在、宮地連の呼びかけに応えて全国からなかまたちが被災地にかけつけ、作業をがんばって
 くれています。現場作業をやったなかまが写真を寄せてくれたのでUPします。
 
 
 
 作業現場は宮城県山元町の沿岸部。壁や天井には津波の傷跡がなまなましく残っています。
 作業内容は床板をめくって、床下に流れ込んだ土砂を掻き出す仕事です。
 
 
 
 二日間の作業で床板はがしと泥だしはご覧のとおり終わりました。作業では「青春18きっぷ」で被災
 地まで一人で二日がかりでやってきた大学生や、新潟から仕事で被災家屋の修理の仕事に来た職
 人さんも一緒になりました。

第15回支援活動(8月27日)

日辺仮設自治会主催「鎮魂と復興の集い」に屋台を出店しました

 

8月27日、日辺仮設(仙台市若林区沿岸被災者が入居されています)の自治会主催で「鎮魂と復興の
集い」が開催されました。宮地連は要請を受け会場設営と屋台の出店で支援しました。
 
 
 
 ズラリと並ぶ屋台のテント。宮地連は「唐揚とポテト」の屋台でした。東京・山谷や弘前から「反核燃」で
活動するなかまも駆けつけてくれました。売り上げ金は自治会の運営資金としてカンパしました。

詳しい報告は後日アップします

8月7日、第14回目の支援活動(喫茶と労働相談コーナー、

          仮設住宅外周の草刈作業)を日辺仮設で実施!

 

 今回は日辺仮設のクラブハウスでコーヒーとホットケーキの喫茶と労働相談受付を実施しました。
 
 七夕まつりがおこなわれている仙台は気温が33度に上がりましたが、冷房が効いたクラブハウスには 
 多くの方がみえました。
 仮設外周の植え込みの草刈中。

          第14回支援活動(喫茶と労働相談コーナーなど)の報告を読む

               

 被災地に労働者の力強い団結を作りあげよう!

  7月30日、仙台・広瀬通りで情宣と労働相談活動を取り組む!

 
 
7月30日につづき、8月2、3日にも労働相談活動を取り組みました。

仙台市繁華街で実施した労働相談活動の報告を読む                  

  

       第11回〜第13回支援活動の報告を見る  

   第6回〜第10回支援活動の報告を見る

              第1回〜第5回支援活動の報告を見る

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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