一五〇日目のホットケーキ

丸田 潔
 

「バックミラーに津波の水煙が上がるのが見えて
必死にアクセルを踏むのだけれども
足ががくがく振るえて力が入らなくて
アクセルが思うように踏めなかった」
ホットケーキが焼けるのを待つ間
四〇代くらいの女性があの日のことを
こう話してくれた

仙台市若林区の市営グランドに建設された
約二〇〇戸の仮設住宅
グランドのクラブハウスだったところが
仮設住宅の集会所として被災者住民たちの
交流の場になっている。
そこでホットケーキとドリップコーヒーの
炊き出しをするというので
東京山谷の日雇労働者の仲間たちと
駆けつけたのだった

早朝、ワゴン車に
調理台にする大きなベニヤ板と
ガスボンベ、ガスコンロとフライパン、
ボールに泡立て器、
食器洗いのバケツ一式、
ホットケーキミックス、
卵と牛乳がぎっしり詰まった
アイスボックス、紙皿、紙コップ
ドリップコーヒーの道具一式
粉に引いたコーヒー豆、コーヒークリーム
を積み込んで仮設住宅へと向かった

仮設住宅は水田地帯に忽然とあらわれた
今日は二〇一一年八月七日 日曜日
季節は春から夏へと移っていたが
ここの住民たちはあの日のことを
昨日のことのように思っているのだろう
流された家、行方不明のままの家族
永遠に戻らない、あの日以前の生活
だからといって力になれるわけでなく
無力な私に今日できることは
ホットケーキを焼くことだけ


日よけのテントを組み立てて
ベニヤ板の調理台の上で
ボールに材料を入れて生地をつくる
ホットケーキを朝食代わりにしよう
という住民たちがさっそく並び始める
行列はどんどん長くなる
「暑いので冷房の効いた部屋でお待ちください」
集会所の中で仲間がコーヒーを淹れている
集会所ではコーヒーを飲みながらの
住民どうしの会話が始まる。

ホットケーキを焼くのに一枚五分くらいかかるのに
カセットコンロ二台とフライパン二つで
二人で焼くのだから
待つ人がたくさんいるのはしょうがない。

集会所の冷蔵庫には
冷えたお茶がたくさん入っていた
「自由に飲んでください」
管理人さんがそう言ってくれたので
お茶を飲みながらホットケーキを焼く
仲間の中にテキ屋経験のある労働者がいて
おいしそうなホットケーキを実に手際よく焼く

朝食タイムが過ぎても
ランチタイムになっても
ひっきりなしに人は来る
「もう三〇分も待っているのだけど」
苦情を言いにきた人には早めに出すことにしたが
「家で年寄りに食べさせたいから五枚ください」という人もいて
いくら焼いても待つ人は減らない
やがて、たまごも牛乳もハチミツも紙皿も底がついて
仲間が買い足しに走る

午後のティータイムを過ぎる頃、ようやく待つ人も少なくなり
夏の日差しはまだきびしかったが後片付けに入る。
最後に仮設住宅の周りの草刈り作業も手伝ってようやく撤収。
「風通しがよくなって涼しくなるよ」
帰りがけにおばあさんが声をかけてくれる
ここに来なければ仮設住宅がどんな雰囲気なのかわからなかった
炊き出しボランティアがどんなものなのかもわからなかった
被災地の人たちと言葉を交わすこともなかっただろう
山谷の労働者と知り合うこともなかっただろう
何もかにもが新鮮で生まれ変わったような気さえした
三・一一から一五〇日目の午後だった。
 

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