第6回(5月22日)〜第10回(6月26日)支援活動の報告 

第10回支援活動(6月26日)報告・写真

 これまで支援活動を取り組んでいた亘理町の避難所が統廃合の時期に入り、6月の第三日曜日
の支援活動は中止となりました。
 第10回支援活動は6月26日、仙台市若林区の六郷中学校の避難所での支援の炊き出し。避難
所では夕食に弁当が毎日配達されるので、それに付ける汁物が良いということで、「クリームシチュ
ー」を160食作りました。
 仙台も梅雨に入り、当日は肌寒い気温だったので丁度よかったかなと思います。
 今回の支援活動には遠く徳島大学から12時間以上高速を走って若い仲間が駆けつけてくれ、ま
た弘前からも宮地連を支援してくれる仲間が来てくれて、総勢7人での支援活動となりました。
 支援活動の内容も避難所生活から仮設住宅での生活に移る被災者の状況に合わせたものにして
いく必要があります。また、被災者の失業状況が改善される様子も見えてきません。  全国のみなさ
んのひきつづきの注目とご協力をお願いします。(6月26日記)

 
写真の説明   六郷中学校の校舎。六郷中学校は仙台市沿岸から約2キロの場所にあります。
          避難所になっている体育館。160人が避難生活を送っています。
         堰@弘前から来たなかまと名取市ゆりあげ港地区に行きました。まだこのような状況
           がつづいています。
                             
写真の説明   若いなかまも慣れない調理をがんばってくれました。
          クリームシチューできあがり。
         堰@今回は避難所内での配食の手伝いもおこないました。夕食の後は「寅さん」の映
           画の上映会でした。
 
第9回支援活動(6月11日)の報告・写真
 
 6月11日は大震災から三ヶ月目の日。午前中は雨でしたが、昼頃には晴れになり、亘理町でも地震発生時刻の午後2時46分に
一斉に黙祷を行いました。
 この日は初めての亘理高校体育館の避難所での炊き出し。夕食用にトマト味の「ミネストローネ」風シチューを190食作りました。
 この時期は仮設住宅の完成とともに避難所の統廃合に時期に入っています。亘理高校体育館の避難所は県立の施設ということで、
町立の小学校や中学校よりも早くなくなり、亘理高校に避難していた被災者は亘理中学校に移るということでした。
 喫煙所で聞いたのは「いつまで転々とする生活が続くのか」「先の生活が見えない状態がいつまで続くんだろう」「仮設住宅に移って
も、収入がない、仕事がない状態でどうやって生きていけと政治家は言うのか」という声でした。
 「政権を支える労働運動」を目指しているナショナルセンターはこの声にどう応えるのでしょうか?「非正規雇用」労働者からも被災者
からも失望されるような労働運動の現状ですが、私たち宮地連は微力でも被災地からこれを変えていく決意です。今後もご支援よろし
くお願いします。 

写真の説明  亘理港堤防沿い。津波で防波堤が倒され、破壊され、立っていた松の木は直角になぎ倒されていました。
          田んぼからガレキは撤去されても、排水路が埋まっていたり、地盤が沈下して海水がいつまでも引かない状態です。
         堰@亘理高校のすぐ下に建設された仮設住宅ではもう入居が始まっていました。 

写真の説明  避難所になっている体育館の全景。調理室と炊き出しテントが並んでいます。
          調理室でご飯を炊いたり、調理をされている被災された方々。シチューの味付けについてアドバイスを受けました。
         堰@この日の夕食のメニューは「炊き出し」で作ったシチュー、ほかに温めたレトルトの中華丼の具、サラダ、果物でした。 
 

第8回支援活動(6月5日)の報告・写真

 6月5日(日曜日)、第八回目の支援活動は「梅雨の晴れ間」の気温26度という、少し暑い気候のなかでの「炊き出し」となりました。
 五回目となる亘理小学校避難所で「クリームシチュー」を150食作りました。
 避難所では仮設住宅への引越しが始まっています。「引越し」といっても、避難所で持っていた「家財道具」はわずかな衣類と寝具く
らいで、ワンボックスカー一台で十分に運べる程度の量です。仮設住宅に移る被災者はこれから生活に必要なものを一から揃えなけ
ばなりません。
  また、「仮設住宅」への移転が被災者の「生活再建」とイコールではないことは阪神大震災で明らかになっています。「共同生活」から
「孤立した生活」になってしまう可能性など、新たな問題に直面するようになります。また、さまざまな理由で避難所に残る被災者が「置
き去り」にされたり、バッシングの対象になるということも起こりました。
  「数合わせ」だけの政府の「復興計画」がこのようなことを繰り返さないように、皆さん、マスコミの一面的な報道に惑わされず、引き
続き、被災地・被災者の状況への注目と支援をよろしくお願いします。(6月6日記)
 
 
 
写真の説明  亘理港。漁業に必要な製氷工場は壊れたままです。 
         亘理小学校近くの仮設住宅。
        堰@亘理港の近くに集められたガレキ。積まれているのはすべて家の柱です。何軒の家が津波で潰されたのか・・・。

 

 写真の説明   150人分のシチューの具を混ぜるのはけっこう「重労働」です。 
                  炊き出しテント前の広場では、「路上パフォーマー」が熱演し、避難所の人たちを笑わしていました。 
          堰@人参の皮むきに奮戦中です。

第7回支援活動(5月29日)の報告・写真

 5月29日(日曜日)、第七回目の亘理町での支援活動は台風2号の影響で、雨の中での亘理小学校避難所での炊き出しとなりま
した。炊き出しのメニューはトマト味の「ミネストローネ風シチュー」を200食。
 午前9時に仙台市内を出発、途中で甚大な被害が出た名取市沿岸部の閖上(ゆりあげ)地区に立ち寄り、午前10時過ぎに亘理小
学校に到着。近くの「亘理町災害ボランティアセンター」には「台風の影響のため、29日、30日の活動は中止」という貼り紙が出てい
ました。 近くの公園には全国から亘理町に来ているボランティアの人たちの宿泊用テントが雨に打たれていました。
 亘理小学校避難所での炊き出しも四回目になり、「顔なじみ」になった方もいます。今日はシチューの味付けを隣のプレハブ調理室
で夕食準備中の女性に見てもらいアドバイスを受けました。
 
                 
 写真 亘理町災害ボランティアセンターの玄関 ボランティアの宿泊用テント 塩シ取市の沿岸部=閖上地区の小さな丘から海
                の方を見渡す
 
 写真 ジャガイモの皮むきに奮戦中 亘理町役場はプレハブで業務中 宴vレハブの右手にあった庁舎が地震によって危険に
                 なったため
 

 
第6回支援活動(5月22日)の報告・写真
 
    私たちの被災者支援活動は5月22日で第六回目になりました。これまで共に被災地に赴き、支援活動を取り組んでくれている東
京・山谷日雇労働組合のなかまたち、大量の肉や野菜を提供して下さった東京の地域生協のみなさん、資金カンパをくださったみな
さん、どうもありがとうございます。  宮地連は、被災地の労働組合としてひきつづき支援活動の幅を広げて取り組む決意です。今後
もご協力よろしくお願いします。(5月22日記)

5月22日、支援活動を取り組んでいる亘理町の港近くの被災状況。
 「荒浜児童館」。子どもたちは大丈夫だったのか・・・ 
 橋の上に漁船が乗ったままになっています 
堰@沿岸部の家の跡、基礎の部分だけを残して上部の家屋部分がまったくなくなった状態が広範囲に及んでいます。  
 
 
 六回めの支援活動は三週間ぶりに亘理小学校の避難所。一回目、二回目の炊き出しの食数は300食を超えていましたが。仮設
住宅などの入居も徐々に進み、今回は「肉じゃが」を200食作りました。
 写真奄ヘ亘理小学校体育館の避難所の全景。白い三角テントの中で調理をしました。左の茶色のプレハブは避難所の方々が湯沸し
や調理をするための施設です。

                          ■ 第1回〜第5回の支援活動の報告を見る 


 

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